佐倉萌インタビュー『アンニュイでコケティッシュ ・佐倉萌のマルチな魅力』第1回

スキャン 1.jpg「愛くるしい瞳と、巨乳のミスマッチが男の下半身を奮い立たせる!」。エクセス作品『人妻不倫痴態 義母・未亡人・不倫妻』の2010年改題公開時にエクセスのサイトに掲載された佐倉萌の宣伝文である。佐倉萌は、その“アンニュイでコケティッシュ”な魅力で長年、ピンク映画ファンを文字通り奮い立たせてきたが、一方、映画デビュー作『雷魚』の瀬々敬久監督をはじめ、黒沢清監督、渡邊孝義監督、クロード・ガニオン監督など作家性の強い監督の作品にも出演し、映画界に異彩を放っている。今回は、そんな佐倉萌にじっくりと話を聞き、その魅力の一端を解き明かしたい。   

インタビュアー 工藤雅典


第一回『写真館の娘、セクシーにグラビア・デビュー』

【1.広島・写真館の日々】 

工藤:新日本映像の本社まで来ていただいて、ありがとうございます。今日は、佐倉さんのエクセスへの出演作品、そして特にエクセスでの監督作品3作にスポットを当てお話を聞きたいと思います。

佐倉:よろしくお願いします。

工藤:では、さっそくお話を伺います。まず、子供のころの話から聞きたいんですけど。1974年2月2日、広島県の生まれですよね?

佐倉:はい。実家が写真館で写真スタジオをやっていて、両親ともカメラマンなんです。
家で商売をしているので、恥ずかしがり屋ではあったんですけど、お母さんのエプロンの後ろに隠れながらも、それでも接客したいというような子でした。後は、近所の美容室に遊びに行って、勝手にお手伝いをしたりとか…。髪を切ったり、パーマをかけたりしているのを見ながら、床を掃いたり。気が付いたら「今日も来てるの?」みたいな(笑)。    

写真館前で
 自宅写真館の前で  3歳の佐倉萌

工藤:それは、いくつくらいの時?

佐倉:5~6歳ですかね。母が着付けをして、そのまま写真に撮るという事をしていたので、小さいころから、着付けのお手伝いをしていました。だから、着付けを習ったとかではなく、子供のころから自然に覚えていきました。

工藤:今も、現場でスタッフとして着付けをしたりしてるそうですね?

佐倉:ええ。高校を卒業して上京した時、時代劇の研究会に入ったので、着物を着てお芝居をするというのを18歳のときからやってました。

工藤:高校を出て上京するまでは、ずっと広島で育ったんですね?

佐倉:はい。4人姉弟の2番目で。でも、兄弟で何かゴッコ遊びをした記憶はないんですよ。ぬいぐるみとかお人形さん相手にひたすら、一人で科白を言うという…。

工藤:科白をねえ。女優になりたいと意識しだしたのは何歳くらいの時ですか?

佐倉:思い返したら、たぶん幼稚園の時にピンクレディとかをテレビで見て、憧れるとかではなくて、将来私は、あの人たちの隣に立って、テレビの中にいるんだと思い始めていて。小学校に入って、テレビにジャニーズのタレントとか出てると、周りの子はキャーキャー言ってるんですけど、私は、あの隣に立つ身だから、ミーハーにキャーキャー言ってちゃダメだと思って、ちょっとすましていたりとか(笑)。

工藤:そうなんですね。

佐倉:あと、少女漫画の裏表紙にタレント養成所の広告があると、こっそり申し込んでいました。一次審査、二次審査が通って、最終審査に合格して養成所とかスクールに通うという段階になっても、お金の問題とかいろいろで、結局あきらめるという事に繰り返しで…。だから、その頃から憧れはあったんでしょうね。

工藤:そうですか。

【2.女優を目指した高校時代、そして東京へ】

佐倉:女優志望が本当にはっきりしたのは、高校に入ってからですね。高校に入って「李香蘭 私の半生」(山口淑子/藤原作弥【著】)を読んで、心に火がついてしまって。それで、高校に演劇部が無かったので、広島のアマチュアの人たちがやっている市民劇団に入って、そこで初めて演劇活動を始めました。

工藤:高校生の時にお芝居を始めたんですね?

佐倉:ええ。それと同時にフジテレビ系のTSS・テレビ新広島の週末にやっている深夜 番組で高校生リポーターを募集してたので応募すると、けっこう活躍する場があって、それでロケで参加したりお昼の収録に行ったりして。高校では地味な生徒だったんですけど、番宣で私が映ったりすると先生たちも「キャー!」みたいな感じで。

工藤:それはローカル番組ですか?

佐倉:そうです。いんぐりもんぐり(ロックバンド)さんの司会で。その時所属していた劇団の主催者が、昔東京でお芝居をやっていて、その伝手で徳大寺伸(俳優 1911~1995)さんという時代劇の俳優の研究会に送り込まれて。ただ、その研究会には上京して一年半もいなかったですね。

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 時代劇研究会

工藤:それはどうして?

佐倉:まあ、研究会というか劇団なんですけど、その中でカップルができたりとか、独身のおじさんにアピールされたりとか、そういうのが嫌で。

工藤:二十歳前だものね。そうだったんだ。

佐倉:はい。それを辞めてからエキストラ事務所に登録して、アルバイトをしながらエキストラをやっていたんです。日テレ系のドラマがメインでした。そこでお芝居の基本を叩き込まれたので、私はエキストラをやったのは大正解だと思っています。立ち位置とか決め事、約束事を、例えばリハーサルで何回でも、テーブルに確実の決められた位置にコーヒーを置くとか。それが出来ると割と重要な所で使ってもらえたりとか。後は、あるドラマだと、1話で私を何役で使えるか、役所の職員からアンナミラーズの店員とか、色々やらされて。結構スタッフの方にも、そんな風に遊んでもらって(笑)。

工藤:予算の関係とかでエキストラをそう沢山呼べない時は、一人のエキストラを衣装とか変えたりして、何役にも使い回すのが、スタッフの腕の見せ所だったりするからね(笑)。

佐倉:他にも、プロダクションの養成所を2~3件受けて、通った時期もあったんですけど、行くたびに、 エキストラはゴミみたいなモノだから、そんな所に出ていちゃダメと言われたりしたんですけど…。

工藤:そんな事、誰に言われたの?

佐倉:養成所の先生に。

工藤:そうなんだ。

佐倉:でも私は、エキストラの現場で色々な事を勉強させていただいたし、事務所に入るきっかけもそこだったので、わたしは、「どこ出身ですか?劇団ですか?」とか聞かれると、堂々と「エキストラ出身です。成り上りました」と言ってます(笑)。

【3.決意のヌードでグラビア・デビュー】

工藤:その後、22歳の時なのかな、雑誌『スコラ』でグラビアデビューしてますよね?

佐倉:そうですね。そのエキストラ事務所のマネージャーが自分で事務所を開きたいと言うので、修行する為にサンミュージックブレーンに行ったんですけど。

工藤:マネージャーが先に、サンミュージックブレーンに入ったんだ。

佐倉:そうですね。そこで、引き抜いていただいて、私もサンミュージックブレーンに入ったんです。でも、契約した3日か4日後くらいにマネージャーが突然死してしまって。

工藤:えっ!そんな事があったの?!

佐倉:ええ、でも契約は済んでいたので、そのまま在籍はして。その翌年ですね、『スコラ』(1996年4月25日号)で一度だけのグラビアを。

工藤:『スコラ』は当時、若い女優とかの水着やヌードのグラビアで凄い人気の雑誌で、アイドルの登竜門のような感じだったよね。

佐倉:そうですね。「アンニュイでコケティシュ」みたいなサブタイトルが付けられていて、ひたすら睨みを聞かせているみたいな写真ばっかりでしたね。

工藤:ヌードグラビアだったわけだけど、最初にそういう話を貰った時はどう思ったの?

佐倉:脱ぐ気満々でしたね(笑)。

工藤:抵抗は無かった?

佐倉:無かったですね。でも、雑誌が販売された時に実家の両親は激怒しましたよね。その激怒の仕方が、「何だあの写真の写り方は!」みたいな(笑)。

工藤:ああ!カメラマン視点でのダメ出しだったんだ。

佐倉:「あの表情の悪い写真は何なんだ!」みたいな感じだったんですけど。上京してからも色々あったんで、その時は2回目くらいの勘当でしたね。

工藤:勘当?!

佐倉:今まで、5回くらい勘当されてるんで、「もう町に入ってくるな」みたいな手紙が(笑)。

工藤:最初の勘当はどういう事だったの?

佐倉:それは、当時の恋人と同棲を始めたのが事後報告だったので(笑)。

工藤:グラビアが、その後の仕事につながるというような野心はあったのかな?

佐倉:ありましたけど、その後すぐには上手くいきませんでしたね。事務所の売り出し方の方針というか、CMのオーディションをたくさん受けさせられたんです。そうすると、笑顔が素敵な子が選ばれるというか、私はまだ、カメラの前で上手く笑えなくて、何か突き抜けた明るさを求められても困るみたいな。

工藤:ただ、笑ってる子じゃなくて、「アンニュイでコケティッシュ」なタイプだもんね。

佐倉:その中で唯一映像関係であったお仕事というのは、当時、奥菜恵(女優 1979~)さんのチョコレートのCMがあったんですけど、その時のスタンドインで。当時の私は、体形とか面立ちが奥菜さんに似てたので選ばれたんですけど、その時のカメラマンさんに「次は自分の仕事でここに立とうよ」と言われたのがズキンときて。

工藤:なるほどねえ。刺激になるよね。

佐倉:ええ。

工藤:当時は、ドラマのオーディションは受けていたの?

佐倉:ドラマは無かったですね。週刊プレーボーイとか、グラビアでカメラマンさんオーディションには何度か行かされましたけど、ダメでした。私は静止画じゃない、動いてなんぼだという思いもあって、私が乗り気じゃないというのも伝わってたと思います。


次回、第2回『オーディション、そして映画デビューの頃』では、映画デビュー前に受けたオーディションの秘話、そしてスクリーンデビューから、ピンク映画での活躍を開始した当時のエピソードの数々が語られます。乞うご期待!!

※掲載した写真は、すべて佐倉萌さんの私物を提供していただきました。